【2024最新】信子さまと娘の確執はなぜ⁉︎三笠宮家の内紛を時系列でまとめ!

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2024年11月15日三笠宮家百合子さまが亡くなられ

三笠宮家次の当主が注目されています。

しかし、信子さまと娘の彬子さまとの間には

確執があるようです

一体いつから確執があるのでしょうか。

今回は三笠宮家の問題について調べてみました。

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目次

信子さまと彬子さまに確執問題?

彬子さま
画像引用:https://www3.nhk.or.jp/

信子さまと娘の彬子さまは、

長きにわたり確執があり、

20年以上も絶縁状態のようです。

彬子さまは2024年で42歳なので

20年以上も確執があるとすると

20代前半の時からになります。

こんな若いころから

絶縁状態であったということは

よっぽどのことがあったのではないかと思います。

また、信子さまと彬子さまの確執問題は、

週刊誌ネットニュース

ネットのサジェストにも

「信子さま 彬子さま 不仲」

と出てきます。

彬子さま
彬子さま

2人の確執問題は

話題になるほど有名な話しみたいです。

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母娘の確執はいつから?原因は?

確執はいつから?

彬子さま
画像引用:https://www.bing.com/

信子さまと彬子さまの確執は、

2004年ごろからだと言われています。

2015年7月に彬子さまは文藝春秋

最近ある雑誌にも書かれていたけれど、
寛仁親王家は長い間一族の中で孤立していた。
その要因であったのが、長年にわたる父と母との確執であり、
それは父の死後も続いていた。
母は父の生前である十年ほど前から
病気療養という理由で私たちとは別居され
その間、皇族としての公務は休まれていた。
私自身も十年以上きちんと母と話をすることができていない

と確執問題について明かしていました。

彬子さま
画像引用:https://mainichi.jp/

皇室内の内情をメディアに

ここまで話すということは

かなりのことがあったのがわかります。

原因はなに?

彬子さま
画像引用:https://jaa2100.org/

信子さまと彬子さまの確執の原因は、

父・寛仁さまと信子さまの不仲が原因で別居したことが
確執の原因だったとされています。

寛仁さまと信子さまの不仲の原因は、

寛仁さまのアルコール依存症

信子さまは別居をしたとされています。

寛仁さまは癌を患っていたこともあり、

信子さまは、がんの検査だと

寛仁さまに言って入院していたようですが、

実際はアルコール依存症治療のための入院だったようです。

このことを知った寛仁さまが激怒し、

次第に夫婦喧嘩が多くなったのだとか。

寛仁さまはこの頃から、

信子さまとの離婚も考えていた

と言われています。

彬子さま
画像引用:https://www.jprime.jp/

しかし、結果的には

別居を選んだそうです。

この別居で彬子さま、瑶子さまが

寛仁さまについていったことで

娘と母親の対立が始まったとも言われています。

確執はさらに悪化?

彬子さま
画像引用:https://mainichi.jp/

母娘の確執はさらに悪化していきます。

寛仁さまが危篤状態になった時に

信子さまは何日もタクシーで病院に

通われたようですが、

彬子さま、瑶子さまの意向により

信子さまは立ち会うことは許されなかったようです。

そして、寛仁さまの葬儀の喪主を務めたのは

彬子さまで、信子さまは参列をしていませんでした。

その後、寛仁親王家の当主を

彬子さまが当主に就かれる予定になっており

三笠宮百合子さまの後押しをしていましたが、

信子さまが

慣例では親王妃だった私が主になることになっています

と主張し、

彬子さまの当主を認めなかったようです。

彬子さま
画像引用:https://www.dailyshincho.jp/

このため、

寛仁親王家は廃止となり、

信子さま、彬子さま、瑶子さまは

三笠宮家となりました。

寛仁さまは生前、

彬子に後を継がせたい

と思っていたようなので

母娘の確執は収まることがなく

さらに悪化していったようです。

寛仁親王家が母の反対により

消滅してしまったということで

彬子さまは相当落ち込んでいたそうです。

ここまで来ると母娘の確執問題は

修復が難しいのではないかと思います。

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三笠宮家の存続はどうなる?

彬子さま
画像引用:https://www3.nhk.or.jp/

三笠宮家の2代目当主は百合子さまでしたが、

2024年11月15日に亡くなってしまったので

3代目は彬子さまではないかと言われています。

本来であれば、男子の親王や王がなるのですが

男子がいないためです。

順調なら信子さまが3代目になってもいいのですが、

百合子さまも

「彬子さまを次の当主に指名したい」

という強い思いがあったそうです。

そのため、

白寿の誕生日写真は、彬子さまと歓談するツーショットで
彼女ヘバトンを託すと言う意味で信頼関係をアピールしていた

と宮内関係者は明かしています。

彬子さま
画像引用:https://www.jprime.jp/

このことから彬子さまが

3代目当主になる予定ですが、

現在は4代目の後継者がいません。

戦後、昭和天皇の三人の弟が

宮家皇族として皇室に残りましたが、

そのうち子や孫がいるのは

三笠宮家だけです。

彬子さまと瑶子さまの姉妹は、

三笠宮崇仁親王や百合子さまの

血筋を受け継いでいます。

3代目で途絶えさせないためにも

4代目の後継者が課題になるのではないかと思います。

彬子さまか瑶子さまが

結婚をして子供を授かれば

4代目の問題が解決できそうですが、

こればっかりはわかりませんね。

今後の彬子さまの動向に注目していきたいです。

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まとめ

三笠宮家信子さまと娘・彬子さまの確執について調べてみました。

母娘の確執問題は2004年ころの

信子さまが別居されてから確執が生まれていました。

その後も確執は解消されることはなく

溝は深まる一方で修復困難な状況のようでした。

三笠宮家の存続は、彬子さまが3代目当主に

なると囁かれています。

百合子さまの信頼も厚かったみたいです。

今後も三笠宮家、彬子さまに注目したいです。

最後までご覧いただきましてありがとうございました。

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