この記事では、皇后雅子さまが「天皇陛下と結婚したくなかった」という説について調査します。
雅子さまは、皇室側からの熱烈なアプローチにより結婚したといわれています。
雅子さまが本当は結婚したくなかった、断れなかったというのは事実なのでしょうか?
雅子さまが結婚したくなかった説
雅子さまは、当初天皇陛下と結婚したくなかったといわれています。
厳密には、天皇陛下と結婚したくなかったというよりは「結婚自体を考えておられなかった」というほうが正しいでしょう。
雅子さまと天皇陛下が初めて出会われたとき、雅子さまは24歳。
大学を卒業し社会に出たばかりであり、さらに夢だった外務省に入省した頃でした。
外交官として国際舞台で輝く未来を胸に、意欲に満ち溢れてた雅子さまは、
結婚して皇室に入るなど考えていなかったのです。
具体的に、雅子さまが結婚を避けてきた理由やそのエピソードについて見てみましょう。
雅子さまが結婚したくない3つの理由は?
雅子さまが結婚したくなかったといわれる3つの理由は、以下のものです。
- キャリアを捨てたくなかった
- ほかに付き合っている人がいた
- 皇室に入るプレッシャーがあった
雅子さまは当初、天皇陛下からのプロポーズを断られていましたが、
結果的に運命的なお2人ではないかといわれました。
天皇陛下のお人柄の良さは表情や立ち振る舞いにあらわれており、国内外から高く評価されています。
雅子さまも、天皇陛下に初めてお会いになったとき好印象を抱いたと推測できますね。
それでは、なぜ雅子さまが天皇陛下からの猛アタックを断り続けてきたのでしょうか。
①キャリアを捨てたくなかったから
雅子さまは外務省出身で、当時まだ20代前半だったにもかかわらず、
世間から注目されるバリバリのキャリアウーマンでした。
将来有望なことは言うまでもなく、これからの日本を担う重要人物になるといわれていた、そんな存在だったのです。
雅子さまが外務省に入省したのは、24歳のとき。
東京・霞が関の若手官僚としてインタビューに応じたことがありました。
そのときの見出しには「仕事を持つのは当然。結婚と両立させたい」と書かれています。
雅子さまはハーバード大学を卒業後に東京大学法学部に入学します。
雅子さまは高い志を持って外交官になり、当初は結婚を考えてすらいなかったそうです。
今は仕事に打ち込みたいの。結婚の予定はないし、両立のことは考えていないわ。
外務省に入省したときには、もちろん喜びを感じたという雅子さま。
しかし、同時に「これで自分は結婚できないかもしれない」とも思ったそうですよ。
相当の覚悟で、外交官という仕事をされていたことが分かりますね。
しかし、最終的に仕事よりも天皇陛下と生涯をともにすることを決められた雅子さま。
外務省を退職される際にも、さわやかで清々しい表情がお見受けできます。
②ほかに付き合っている人がいたから
雅子さまは天皇陛下から交際を申し込まれた際、ほかに付き合っている人がいたとされています。
この話は噂止まりで、真相は明らかになっていません。
しかし、雅子さまは当初天皇陛下からのアプローチを断っていたことから考えても、
別の人と交際していた可能性はあるでしょう。
しかし、外交官という仕事に心を燃やしていた雅子さまですから、
交際している人がいても結婚までは考えていなかったかもしれません。
学生時代からネパール人とのハーフに間違われることもあったという、エキゾチックな顔立ちの雅子さま。
天皇陛下も一目で心奪われる美貌の持ち主ですから、引く手あまただったことは間違いないでしょう。
さらに、雅子さまは初めて天皇陛下にお会いした際、皇室についてよくご存じなかったそう。
その日の夜、雅子さまは祖母である江頭寿々子さんにこう尋ねました。
おばあさま、浩宮さま(天皇陛下)ってそんなにおえらいの?
浩宮さまは、将来天皇になられる方ですよ
じゃあ私、すごい方に会ったわけね!
雅子さまは、天皇陛下(当時は皇太子)がどういった人物なのかよくお分かりになっていなかったのですね!
このようなエピソードから、雅子さまは天皇陛下にお会いしてもそこまで意識をされていなかったことが分かります。
③皇室に入るプレッシャーがあったから
雅子さまが天皇陛下との結婚を断っていたのは、皇室に入るという重圧に耐えられなかったからだといわれています。
雅子さまは海外経験が豊富であり、英語のほかにフランス語やロシア語も操るマルチリンガル。
外交官という仕事に就くのは自然な流れのように感じます。
しかし実は、アメリカで寮生活をしていた際に、世界の人々が悩みを抱えていることを知りショックを受けたそうです。
常に日米関係のことを考える賢い学生だったという雅子さまは、アメリカ生活がきっかけで外交官を目指すようになります。
強い思いをもって外務省に入られた雅子さまは、まさか自分が皇室の男性から求婚されるとは思っていなかったことでしょう。
そして、幾度となくあった天皇陛下からのアプローチに対し「自信がない」と答えてきました。
自分のキャリアを充実させたい思いのかたわら、自分が皇族になるという重圧を感じていたのが伝わってきますね。
雅子さまはなぜ天皇陛下と結婚したの?断れなかった?
雅子さまが天皇陛下と結婚された理由や、決め手は何だったのでしょうか。
ここまででご紹介してきたように、雅子さまは天皇陛下と出会い求婚されても、断じて承諾することはありませんでした。
外交官という仕事に誇りを持っていただけではなく、結婚して皇族になるという重圧を感じていたからです。
外交官と結婚生活を両立するのだと心に決めていた雅子さまは、そのキャリアを捨ててまで結婚する意思はなかったのです。
それでも、最終的に天皇陛下のプロポーズをお受けになった雅子さま。
出会ってから結婚されるまでの間に、雅子さまにどのような心境の変化があったのでしょうか。
天皇陛下が5年も想い続けていた
天皇陛下は雅子さまのことを、実に5年もの間想い続けていたことがわかっています。
天皇陛下は雅子さまと出会い一目惚れをしますが、さまざまな理由や雅子さまの意思もあり、恋は叶いませんでした。
そして月日が経ち、将来の妃候補について打ち合わせが行われる中、天皇陛下は
小和田雅子さんではだめでしょうか…?
と言い出したのだそう。
雅子さまはとうの昔に縁談を断っており、天皇陛下は雅子さまの意思を尊重し諦めていたはずでした。
しかし、どれだけ月日が経過しても雅子さまのことを忘れられなかったのだそう。
5年も前に消え去ったはずの女性の名前を出されたことで、関係者が「お決めになられたのですね」と聞くと、天皇陛下は
ずいぶん、待ちました…
と、迷いのない表情で答えられたそうですよ。
こちらが、天皇陛下が5年にもわたり思い続けた頃の雅子さまです。
上品で知性が溢れ、立っているだけでオーラが感じられるお姿をしていますね。
「結婚相手は自分で決める」陛下の強い意思
天皇陛下は、雅子さまに初めてお会いした際に一目惚れをされたことが明かされています。
そんなお2人の初めての会話は、さかのぼること1986年。
東京国立西洋美術館で開かれた皇室主催のお茶会でのワンシーンでした。
外交官試験に合格してよかったですね
はい、ありがとうございます
この会話が行われていたとき、すでに天皇陛下は雅子さまに心を奪われていたということですね。
とてもかわいらしい方ですね
と話していたそうです。
当時、天皇陛下は26歳。
理想の結婚相手についてインタビューで聞かれた際、
結婚相手は、最終的には自分で決めたいと思っています。
と、真っすぐな目でおっしゃったそうです。
この出来事は、温厚で我を出さない天皇陛下(当時は皇太子)のはじめての反抗といわれるほど、異例の回答だったそうですよ。
それだけ、天皇陛下は雅子さまだけを想い続けていたのですね。
そして、その強い想いが雅子さまに届くよう、宮内庁全体を動かすことになります。
異例の「警備なし」デートで猛アタック
天皇陛下は雅子さまへの思いを断ち切れず、5年にもわたり想い続けていたことを雅子さまご本人に明かしました。
場所は、宮内庁が管理する千葉県の新浜鴨場(しんはまかもば)。
雅子さまに求婚した天皇陛下ですが、雅子さまの返事は
自信がありません。
そして、デートから1ヶ月以上が経っても雅子さまからの返事はありませんでした。
しびれを切らした天皇陛下は雅子さまに連絡し、こう伝えました。
雅子さんのことは僕が全力でお守りします。
雅子さまは、この言葉に大きく心動かされたとのちに語っています。
実際に天皇陛下は、雅子さまが適応障害を患い長い療養を必要とする状態になった際にも、
お1人で国民の前に出て会見をしています。
そして「雅子のキャリアや人格を否定する動きがあった」と、宮内庁や国民からの仕打ちに異を唱える発言をしているのです。
この発言は宮内庁に相談なく発されたもので、弟である秋篠宮殿下からも苦言を呈されたそうですよ。
プロポーズの言葉どおり、身体を張って雅子さまをお守りになられてきたのが分かりますね。
上皇陛下と美智子さまも全面的にサポート
天皇陛下の雅子さまへの熱い想いに心打たれた、両親の上皇陛下と美智子さま。
天皇陛下のお気持ちが変わらないのであれば、何としてでも雅子さまに結婚を承諾してもらわなければなりません。
上皇陛下と美智子さまは、雅子さまの父・小和田恆(おわだ・ひさし)さんを赤坂御所に招き、
お気持ちを伝えられました。
美智子さまはかねてより、雅子さまのことを高く評価されていたといいます。
これまで我を出してこなかった天皇陛下が、
絶対に雅子さんと結婚する…!
と、ここまでの熱情を見せたのは初めてのことだったそう。
そんな天皇陛下の想いを叶えるため、そして将来の妃を皇室に招き入れるため、
皇室中が一丸となって動いた瞬間でもありました。
そして、結婚を快諾した雅子さま。
皇族になるお気持ちを固められ、美しくも清々しい表情をしているのが分かりますね。
この力強い意思を感じる心、そしてそれが表れている凛とした表情に、天皇陛下は心奪われたのでしょうか。
婚約会見の際の雅子さまも、いっそうお綺麗です。
最終的には天皇陛下の「心」に惚れた?
雅子さまが結婚を承諾した理由はさまざまなものがありますが、最終的には天皇陛下の心に惚れたのではないでしょうか。
雅子さまは結婚後の会見で、天皇陛下について以下のように語られています。
殿下は、新しい生活に入った私に対して常に深い思いやりを持ってくださる。
色々とお教えくださり、考えてくださり、またどんなことでも相談相手になってくださる。
私を本当に大きく支えてきてくださいました。
天皇陛下は雅子さまにだけでなく、周囲の人物や友人に対しても気遣いができる性格だといわれています。
国際的にも「愛すべきお人柄」だと評価されてきた天皇陛下だからこそ、その心からの人格が雅子さまにも伝わったのでしょう。
天皇陛下からのプロポーズを承諾されてからの雅子さまからは、こちらまで幸せな気持ちになる笑顔が放たれていますね。
まとめ
雅子さまと天皇陛下の結婚秘話について調査しました。
雅子さまは長らく、天皇陛下からのプロポーズを断り続けており、一時期は天皇陛下の恋は玉砕に終わったかと思われました。
しかし、何年たっても雅子さまのことだけを想い続けた天皇陛下の一途な想いが、バリキャリ街道を歩んでいた雅子さまの心を動かしました。
雅子さまは皇室に入られてから心を病まれ、宮内庁や国民からのプレッシャーと戦ってきました。
しかし、どんなときも味方でいてくれたのは、ほかでもない天皇陛下だったことでしょう。
今後も、仲睦まじいお2人の姿を拝見したいですね。
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