秋篠宮家紀子さまが「したたかだ」「計算高い」といわれ、バッシングの対象になっています。
かつては人気の妃であった紀子さま。
皇后雅子さまが公務を再開してからというもの、紀子さまと雅子さまの国民人気が逆転したともいわれています。
この記事では、紀子さまが計算高いといわれるエピソードをまとめてみました。
紀子さまは策略家⁈
紀子さまは策略家といわれ、これまでの言動がすべて計算し尽くされてきたのではないかという見解があります。
紀子さまは一般家庭から誕生した「3LDKのプリンセス」と呼ばれ、長らく国民的人気を誇ってきました。
「3LDKのプリンセス」というあだ名は結婚当初紀子さまが、学習院のキャンパス内にある教職員住宅に住んでいたことから付けられました。
こちらの写真は、当時の紀子さまが父親である川嶋辰彦さんとともに、教職員住宅からお出かけになる場面です。
と好意的な意見が寄せられ「紀子さまフィーバー」が始まりましたね。
しかし、思い起こせばこのときから、紀子さまの“策略”は始まっていたのではないかと言われているのです。
それでは、紀子さまがしたたかで計算高いといわれるエピソードをまとめてみましょう。
したたかで計算高いエピソードまとめ!
それでは、紀子さまの計算高いエピソードをまとめてみましょう。
遡ること35年前、紀子さまがまだ正式に皇族になられる前から、そのしたたかさがみられていたそうです。
皇族に関しては、さまざまな意見が飛び交っています。
紀子さまを策略家だとする声もあれば、いつまでもお美しく上品な王妃だと評価する声もあります。
ここでご紹介するエピソードだけが紀子さまのすべてではないということを念頭に置き、読んでいただければと思います。
昭和天皇の喪中に婚約会見!
紀子さまと秋篠宮殿下は平成元年8月に、揃って婚約会見をされました。
平成の前の時代である昭和は、その年の1月7日に昭和天皇が崩御されたことで終了しています。
そう、紀子さまの婚約会見は、昭和天皇の喪中に行われていたのです。
昭和天皇の喪中に行われた婚約会見、そして秋篠宮殿下のお相手は学習院大学教授の娘で、現役女子大学院生。
情報量の多さに、世間は大いに驚いたことでしょう。
このとき、喪中ということで紀子さまは濃いネイビーのワンピースを着用していました。
雅子さまの婚約会見では、華やかなレモンイエローのドレスをまとっていました。
しかし、紀子さまの婚約のタイミングがタイミングだっただけに、シックな色味のドレスで臨んだのでしょう。
皇族に嫁ぐというめでたい席にもかかわらず地味な色のドレスを召されていた紀子さまは、
上品で控えめな妃だ!
目立とうとしていなくて素敵!
と、世間の目には控えめで気品ある妃にうつりました。
しかし、現在では「国民人気を狙って、あえて喪中に婚約会見をしたのでは」と言われるように。
さらには「紀子さまがわざと地味なドレスを着たことで、雅子さまが目立ちたがっているように見えてしまう!」と批判の声も寄せられました。
皇族になるため秋篠宮殿下に近づいた?
紀子さまは学習院大学の大学院に在籍中、秋篠宮殿下と出会って恋に落ちます。
早い段階で宮中に招かれ、当時の天皇陛下や皇太子さまと面会もされていたそうです。
そして、まず秋篠宮殿下と出会ったこと自体が「計算」だったのではないかといわれているのです。
秋篠宮殿下は、1歳年下の紀子さまに一目惚れをし交際をスタートさせました。
良き出会いを求めていた大学生の秋篠宮殿下は、知り合いに「川嶋家のお嬢様なんてどうですか」と紹介されたそう。
ルックスの良さはもちろんのこと、初々しく健気な紀子さまのお姿に一目惚れされた秋篠宮殿下。
紀子さまとお近づきになるためだけに「自然文化研究会」というサークルを立ち上げ、紀子さまを入部させるという大胆なアプローチをするのです!
エピソードを見ると、秋篠宮殿下からの猛アタックで交際が始まったとされるお2人ですが、世間では
紀子さまが仕組んで、知り合いに自分を紹介させたのでは?
といわれています。
紀子さまは当初から可愛く、男子生徒たちの間でも「ものすごく可愛い子がいる」と話題になるほどだったそう。
そんなご自身の美貌を使って、秋篠宮殿下に近づいた…
事実なのかどうかは、ご本人のみぞ知るところでしょう。
美智子さまを完コピで国民人気を得た?
紀子さまは皇族に入られるにあたり、当時の皇后だった美智子さまを”完コピ”する形で振る舞われていました。
美智子さまは、紀子さまがまだ皇室に入られる前から「キコちゃん」と呼び、たいそう気に入っていたそう。
そんな美智子さまの振る舞いや話し方など、細かなところまで範としてきました。
美智子さまのビデオを見て、身振り手振りを模倣し練習していたという情報もあります。
そのおかげで、紀子さまは早い段階で皇室になじむことができ、また一時は
とまでいわれる人気を得るようになったのです。
しかし、紀子さまがここまで努力して妃として完璧に振る舞おうとしたことに対し、
天皇陛下に気に入られるために必死だ
と批判されるようになってしまいます。
産み分けで悠仁さまを産んだ?
紀子さまは、眞子さま(現・小室眞子さん)と佳子さまという2人の娘に恵まれました。
そして、紀子さまよりもあとにご出産された雅子さまのもとに愛子さまが誕生。
長男の妻である雅子さまが男児を出産されなかったことを受け、紀子さまは“次世代の天皇”といわれる悠仁さまを出産したといわれています。
そして、悠仁さまがお生まれになったのは紀子さまが「産み分け」を行ったのではないかとまでいわれているのです。
悠仁さまの誕生日から逆算すると、性別が判明するのは5月くらいだと考えられていました。
しかし紀子さまの場合、わずか妊娠6週で「男児をご懐妊されている」と噂が流れたのです。
このことから、紀子さまは産み分けを行って最初から”お世継ぎ”となる男児を出産されるおつもりだったのでは…
という見方が広がりました。
悠仁さまを出産されたときの年齢が39歳と、一般的には高齢出産の部類に入る年齢だったことからも、
そこまでして「天皇の母」になりたいのか
と、祝福どころかバッシングの対象になってしまったのです。
現在、愛子さまが天皇になる「女性天皇」誕生への議論が進められていますが、現状の皇位継承権は秋篠宮殿下、そして悠仁さまです。
そんな恵まれた環境の中で、紀子さまは「次期天皇の母の座でふんぞりかえる悪妻」というレッテルを貼られてしまいました。
悠仁さまを出産される前の紀子さまは、民間出身のプリンセスというだけあって、国民と近い距離を保っていたように感じます。
しかし、悠仁さまがお生まれになり「次期天皇の母」となってからは、意識が変わっていったのではないかといわれています。
異常なほどの学歴至上主義
紀子さまは、異常なまでの学歴至上主義であることが指摘されています。
何においても学歴を大切にされる言動や立ち振る舞いから、計算高いといわれてしまうようですね。
紀子さまご本人は学習院大学の大学院を卒業していますが、父親が学習院大学の教授で、一度も受験を経験されていないそう。
学歴だけを求め続け、すさまじい闘争心を見せているという紀子さま。
眞子さまと佳子さまはすでに大学を卒業されているので、残るは悠仁さまのみ。
紀子さまは、悠仁さまを東京大学に入学させようとしているようです。
紀子さまのお父様が東京大学出身のため、日本一の大学である同大学にぜひとも息子を入れたいのでしょう。
秋篠宮殿下と紀子さまは同じ学習院大学出身ですが、お2人そろって学習院大学には馴染めていなかったという話もあります。
学習院大学に対し良い印象を抱いていないからこそ、学習院大学を敬遠しているのではないかともいわれています。
眞子さまと佳子さまを学習院大学ではなくICUに入学させたのも、秋篠宮夫妻の「学習院嫌い」あっての選択かもしれませんね。
悠仁さまを東京大学に入れるため奮闘しているという点からも、紀子さまがしたたかな教育ママであることが垣間見えます。
笑顔がしたたかで怖い
紀子さまは、かつて「紀子さまスマイル」と呼ばれ国民を熱狂させた笑顔でさえ、最近ではバッシングの対象になってしまっています。
紀子さまのにっこり笑う柔和な表情は、秋篠宮殿下との婚約当初から変わりません。
可愛らしく上品なオーラをまとわせる、若き日の紀子さま。
見る人を幸せにする朗らかな笑顔ですが、世間ではこの笑顔が
と言われてしまっています。
紀子さまは、皇后雅子さまと事あるごとに比較され、国民人気がシーソーのように逆転してきました。
外交官出身でバリバリのキャリアウーマンだった雅子さまは、人前でニコニコと笑うのがお得意ではなかったように思います。
しかし、紀子さまは結婚当初から「紀子さまスマイル」を生み出し、常に笑顔で公務をこなされてきました。
雅子さまが適応障害で公務を休まれている間、雅子さまの分までせっせと働く姿、そして笑顔は、国民から高く評価されてきました。
しかし今では、その頃の紀子さまの功績さえも「策略だったのではないか」といわれています。
喋り方がわざとらしいという声も
紀子さまは結婚当初から、非常にゆっくり丁寧にお話される方でした。
一般家庭で育っており、カメラを向けられることにも慣れていなかったであろう結婚当初。
たどたどしくも、語尾に「ございます」をつけてはにかみながら話されるその姿は、秋篠宮殿下だけでなく世間をメロメロにしてきましたね。
そのおっとりして落ち着いた話しぶりは、当初こそ好感が持たれていたものの、現在に至っては
と、批判的な声が寄せられるようになっています。
紀子さまの話し方はお若い頃から変わっていませんので、性格によるものでしょう。
しかしそんな話し方さえも、国民からの印象を良くするための策略だといわれてしまっているのですね。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
紀子さまが計算高い策略家だといわれる理由は、複数あるようでした。
とはいえ雅子さまが療養なさっていた頃、勢力的に公務に励まれていたのは紀子さまであり、当時は国民から支持されていました。
事あるごとに紀子さまと雅子さまは比較され、現在は雅子さまへの共感の声が多くなっているようです。
紀子さまは次期天皇の母となる立場で、今後も懸命に公務をこなしていくことでしょう。
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